人は考える葦であるか?「子供とネットを考える会」が考えること
このエントリーはどんな「情報モラル/リテラシー」啓発をしたい・聞きたい? Advent Calendar 2018 - Adventar 6日目の投稿です。
今回は子供とネットを考える会のスタンス的なお話をさせていただこうと思います。
子供とネットを考える会を立ち上げるまでの話
色々な学校やPTA等に及びいただいてお話をさせていただく機会があります。
長男を妊娠中のこと。
西鉄高速バスがバスジャックされ乗車していた女性が命を失うに至った痛ましい事件がありました。
この件は、Wikipedeiaでも紹介されていますので、どんな事件だったか...という方はご覧になってみてください。
この中でも書かれている2ちゃんねるでの犯行予告については、当時、かなりセンセーショナルに取り上げられた記憶が残っています。
今から出産する子供が生きていく世界で、少しでも、ネット環境を安心して利用できるようにするにはどうしたらいいんだろう?
そこが最初の一歩でした。
ネットだけでの情報発信ではなく、オフラインで顔を合わせた話をする場、考える場を作るにはどうしたらいいのだろう。
そこから、まっちゃ139勉強会や、Admintech.jpやセキュメロなど様々なIT系の本業に密接に関わる勉強会を立ち上げたり運営したり、お手伝いしたりしながら「オフラインで話す場づくりの方法」を10年程度考えていました。
今考えると、ロースターターですよね。
長男が中学に入学する直前に立ち上げたのが「子供とネットを考える会」です。
人は考える葦であるか?
パンセの中でパスカルがあげた言葉「人は考える葦である」という言葉は、私にとってひどく心の奥深くに残る言葉です。
実際にパンセを読み、いろいろな著名人の考えも含めて知り、その中でさらに自分にとって人とは何なのかを考えた際に、結局、答えなんてでないのです。
もっとも、私はパスカルと同じものを見聞きし育ったわけでもありませんし、その環境が同じだったこともないので、正確に筆者であるパスカルの思いを理解することはできませんが、想像することはできると思うのです。
パンセの中で語られている全方位に物事を見る術についても、物事をいかに多角的に見るかということは大切なことだなーと思うし、それこそ、先日、別件で書いた「私は普通の主婦ですよ?」さて、普通って何だろう - 家庭内インフラ管理者の独り言(はなずきんの日記っぽいの)で書いた多様性を多様性として受け入れることに繋がってくるんじゃないかとも思う。
常に考え続けるということ
情報モラル講演において、話を聞いてくださった方から「では、どうしたらいいですか?」と聞かれることがよくある。
その中で、私が伝えることは2点。
1. 設定等で対応可能なことと設定方法
2. ただし、それをするしないを判断するのは保護者であり、また保護者の設定した内容を回避する方法を模索する子供もいること
結局は、利用者次第なんですよ。
と。
だから、子供とネットを考える会では「絶対○○をすれば大丈夫」なんて話は提供できない。
会の名前の中に「考える」が入っているのもそのためだ。
常に、考え、悩み、模索する。
そういうことを続けていく中で、よりよい何かにたどり着く可能性があるのではないかと。
時代は移り変わるし、今の常識は未来の常識ではないことを私たち大人は知っているはずだと思う。
子供の頃に常識だと思っていたことは、今も常識であり続けているだろうか?
勿論、今現在、不変に見えているものもあるかもしれないけれど、将来にわたってそれが不変だと断定することはできないんじゃないだろうかと。
ルール作りの話をする際に、定期的に見直そうということを伝える。
それもまた、ルールを守る・ルールに縛られる子供たちが日々成長し、根本となるものが変わるからだと思う。
子供とネットを考える会はこう考える
「こう考える」といっても、それは「わたし(id:hanazkin)」の考えだ。
子供とネットを考える会は、id:ohesotori がいて aya さんがいる。
確かに、中の人たちはIT系で働く人ではあるけれども、同じ人ではない。
常に、いろいろな意見を交わしながら、こうじゃないか、あーじゃないかと話し合うことができる。
情報モラルやリテラシーの講演で、考えること悩むこと、考えれること悩めることの大切さを伝えていくことができればなと、そんなふうに、今のわたしは考えています。