その写真・動画から何が特定されるのか?誰が子供を守れるのか、学校・教育委員会・そして親

朝から長いエントリーをあげるので、通勤途中、通学途中などに読んでもらえればと思っています。
中日新聞:HPに写真掲載で謝罪求め提訴 静岡地裁浜松支部:静岡(CHUNICHIWeb)で、

娘の写真を学校のサイトに掲載することを拒否したのに、学校が載せたとして、市教育長や市教委担当者の謝罪を求める訴訟を静岡地裁浜松支部に起こした。
(略)
神戸大大学院の森井昌克教授(情報通信工学)は「サイトの画像は世界中の人が見られ、未来永劫(えいごう)残る。載せる場合はその都度保護者に確認すべきだ」と話している。

という話が書かれていたので、過去に関わった(現時点で問題は解消されている)話を公開しておくことにしました。

投稿のきっかけは便利だから?

「子供の運動会の動画、いとこも見たいよね動画共有サイトにアップしない?」
こんなやりとりがあったのかはわからないけれど、確かにその運動会の動画は動画共有サイトにアップされていた。
動画共有サイトに、ある小学校の運動会動画が投稿されていることを友人経由で知ってびっくりした。
「たまたまうちの子が通う小学校の名前を検索したらね、動画サイトに去年の運動会が投稿されてたのよ。
 私、仕事で運動会に参加できなかったから様子がわかって便利よね」
そっか、便利って考え方があるのか。

便利よね?だけで済むのかな?

それ危ないんじゃない?と友人に言うと、「こんな動画だけで子供に危険性があるの?」と聞かれたので、説明するためにちょっと調べてみることにした。
小学校名を検索ページで検索してみた。
確かに、一番最初に表示されるのはその小学校のオフィシャルなサイトだったが、その少し下が問題だった。
動画共有サイトに投稿されたタイトル「○○小学校××年運動会 △年生競技」が書かれ、サムネイルには児童が体操着で走る姿が鮮明に映し出されていた。
動画を確認してみると、子供の名前を呼ぶ声に答えて振り向き手を振る子供の姿。ゼッケンには学年やクラスと苗字がしっかりと書かれている。
数の子供が動画に映っており、彼・彼女の顔やゼッケンも確認することができた。
その小学校は保護者同伴でないと運動会の観覧ができないことのことと、動画内の音声から観覧していた保護者が撮影した動画をそのままアップしたことが読み取れた。
また、動画投稿サイト内でもその小学校名や運動会という言葉で検索すると同じ動画が検索結果に表れることから、公開範囲は全く指定されておらず、検索方法次第では誰でも見る

ことができる状態になっていることが分かった。

この段階でわかったこと
 ・××年に撮影された○○小学校△年生の児童の顔とそのフルネーム

これだけで、どんな危険性が考えることができるだろう?
有名人じゃない、一般の児童。小学校の名前を検索するだけで、どこの町のどこにあるのか地図がちゃんと教えてくれる。

投稿者からわかる情報は何があるのか?

先ほどの動画を投稿したユーザの他の投稿内容を見てみると、たくさんの動画が投稿されており、日常的に撮影した動画を動画共有サイトにアップする習慣のある保護者の方のよう

だった。
また、動画投稿サイトに使用されているアカウントや動画の情報などを検索すると、「動画投稿したよ」と記述している公開されたSNSのアカウントを発見した。

この段階でわかったこと
 ・家族構成(複数の動画から)
 ・子供の習い事(投稿された動画から)
 ・投稿者のSNSアカウント(動画情報検索から)

学習塾などの場合、学年別に授業時間などをネット上に公開している場合が多く、子供が習い事に通う時間がわかれば待ち伏せされるかもしれない。
しかも、運動会動画の時点で子供の小学校学年氏名と顔が判別がつく状態の場合、名前で声をかけられるよね。
いつも同じアカウント名で、Webサービスごとに個別のアカウント名を使用していない場合は、よりアカウント特定をされやすいかもしれない。

SNSアカウントで何を書くのか?

SNSと言えば、クローズドなイメージを抱きがちだけれど、FacebookTwitterの場合ログインや繋がりがなくても設定次第では第三者でも書いている内容を見ることができる。
Yahoo!検索(リアルタイム)でFacebookのデータも検索できるようになりました。 - Yahoo!検索 スタッフブログにあるように、Facebookでの公開範囲を限定されていない投稿は、普通に検索で見つけられてしまう。
Twitterも勿論、鍵付と言われる非公開設定にしていないと、検索すれば内容を読むことができる。
もっとも、Twitterで鍵付設定をしていても、サードパーティアプリで画像投稿した場合等は写真経由で単一の投稿を読むことが可能な場合もあるんだけれど。
mixiだってログインすれば公開範囲を限定されていない日記は中身を読むことができるし、mixi内で検索して探すこともできる。
サービスの話に横道がそれてしまったので、少し話を戻すことにする。

動画投稿者がSNSに記述した内容をさかのぼってみると、さまざまなことが書かれていた。

この段階でわかったこと
 ・動画投稿者の本名(アカウントの表示名がフルネームで紹介文ではっきり明言)
 ・子供の漢字名や家族構成
 ・子供の習い事行事の今後の予定
 ・勤務先に関する様々な事柄
 ・色々な場所の位置情報

ここでネックになってくるのが位置情報だ。
色々なニュースで位置情報が危ない!と言われているのは、周知の事実と思っていた。
参考:第3回 スマホは危険?(2) 位置情報サービスにご注意!新米SE 関ゆりこが解説 忍び寄る危険から身を守る、情報セキュリティ講座 - MSNドニッチ!
しかし、何度、動画投稿者が投稿した位置情報を見返しても、住宅街の中にある家の場所と思われる場所が何度も投稿されている。
書かれている内容は、家での出来事...その位置情報、自宅じゃないですか?

放置してもいい問題なのか?

発生しそうな最悪の事態を想定してみる。
今までに投稿された動画から紐づけて、撮影された子供にかかわることで分かったことを見返してみると、悪意のある人間ならどうするだろうか?
今現在、問題がなかったとしても、将来的にその動画や投稿が残っていて、子供が不用意な発言をした際に悪用される場合があるかもしれない。

どうやって伝えるべきなのか、誰が伝えるべきなのか?

今回のことは、友人経由で得た話なので友人経由で話を持っていくのが妥当では?と思ったものの、友人だってそりゃ難しいでしょ。
友人と動画投稿者が知人であるかどうかはわからないし、知人であったとしても会釈程度の仲でしかなかった場合、
「おたくの自宅情報ネットに出てますよ」
なんて、いきなり言われたら、言われたほうが警戒するし、あらぬ噂をたてられる可能性だって想像できる。
じゃぁ、第三者の私がいきなり勤務先のメールアドレスにこれらのことを書いて送信する?というわけにももちろんいかない。
玄関に立ってダイレクトに説明するなってもってのほかだ。
投稿された動画が小学校内の運動会ということもあり、教員経由でこの話を持って行ってもらうことが好ましいのではないかといろいろ画策してみたが、小学校では判断できないと

の回答。
じゃぁ、教育委員会かというと、教育委員会でも親が個人で投稿した内容には関与できないとの回答をもらってしまった。
動画投稿者の子供だけでなく、その他大勢のたくさんの子供の顔と学年・名前が判別点く動画が晒されているのにも関わらず...だ。
結局、その学校区の役職等を務めた方経由で動画投稿者に話をつけることができたが、もしそういった知り合いがいなかったらどうなるのだろう?
どこが判断してどこが動くべきなんだろう?
青少年ネット被害防止対策事業(ネットパトロール)/千葉県を見ると、子供の自分自身や他人の個人

情報の公開を監視して、教育委員会等に連絡し、削除を含めて生徒への指導を依頼とかあるんだけど、残念ながら今回取り上げている小学校区にはネットパトロールというものは存

在しなかった。

学校や教育委員会、そして親

中日新聞:HPに写真掲載で謝罪求め提訴 静岡地裁浜松支部:静岡(CHUNICHI Web)では、下のように書かれている。

市教委に学校の担当者らの処分を求めたが、いずれも校長らへの口頭注意のみだった。市教委も不掲載の意向を知っていたとして、教育長らの謝罪を求めたが、断られたという。

今回の話は静岡県の話とは全く異なるものだけれど、学校の姿勢、教育委員会の姿勢を考えると静岡だけの話ではないのではと思わざるを得ない。
しかし、学校や教育委員会などの教育機関だけが対応できる話ではない。親も一緒になって考えるべきだと思う。
最近の小学校の参観や運動会の案内などをご覧になられた方はわかるかもしれないが、小学校の案内にはこんなことまで書くのってことが書かれている。
・学内での飲酒・喫煙は禁止されています
・運動会での撮影はトラック内で行わないでください
・参観の際の教室内及び廊下での私語はご遠慮ください
...etc
どう考えても、親おかしい。なんでも学校に指示、お願いされないとできないというのは違うんじゃないかな。

思うこととか

ビデオカメラやデジタルカメラでの動画・写真撮影からパソコンを経由しての共有サイトへの投稿とは異なり、スマートフォンではより容易に一連の動作を行うことができる。
子供の成長の思い出を残す為に撮影するのは、ほほえましいことだと思う。
公開範囲をしっかりして、イベントに参加できないおじいちゃん、おばあちゃんの為にファイル共有サービスを利用するのもありだと思う。
そして、この一連の流れを書くことで、何かしら考えるきっかけになるといいなと切に願っています。
かなり乱文になってまとまりがないかもしれないけれど、最後まで読んでいただいてありがとうございます。